
夜が明け受験者と家族が全員集まりました。私たちが一番遅く面接の部屋に入ったとき、仁は大きな声で、「おはようございますしと言ったのです。私もびっくりしたが、周りのお母さんたちも驚いたようです。「貴方のお子さんは元気があっていいですね。あんなに話せるから大丈夫」と励まされ、力強く秋田へ帰ってきました。
でも、合格通知がくるまでドキドキしていました。何日か過ぎて、「仁くん合格しましたよ、お母さんよかったね」と先生から知らせがありました。「先生、大変心配をかけました、本当にありがとうございました」とお礼を言いました。そのあと安心のあまり、体中の力が抜けた気がしました。
卒業式を終え、いよいよ日本電気の横浜事業所に就職しました。仁の職場は宇宙の製造部でした。この感激は一生涯忘れることはないでしょう。聴覚障害の子供を育てた親の気持ちはみんな同じ。子供の職場が決まったときの喜びの顔、顔がいまでも目に浮かびます。私はもちろん周りのお母さんも本当によかったと、何度も嬉しさがこみあげました。
入社式は五十七年四月一日、独身寮に八年間はいりました。独身寮には二、三回訪ねました。会社では何時も歓迎してくれ、仕事の内容についても、やさしく話してくれて何時も安心して帰ってきました。
五十八年ごろだと思います。あるタクシーに乗ったとき運転手さんに、「奥さん、ろう学校へ連れて歩いていた子どもさん大きくなったでしょうね」と話しかけられました。びっくりしましたが嬉しくて、いま家から離れ横浜に勤めていることを話しました。「よく、手を引いて歩い
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